母の日っていつ?何日なの?由来や2017年におすすめのプレゼントをご紹介!

小さい頃から、当たり前のようにプレゼントやカーネーションを用意していた『母の日』。この『母の日』は、いったいいつから、誰が始めた文化なのでしょうか?日本だけのもの?それとも世界中にあるの?何月何日だっけ?

カレンダーや雑誌などで『母の日』というワードを目にしないと、いまいちピンとこない人もいるのではないでしょうか?ここでは、母の日の由来などについて、詳しく見ていきたいと思います。

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『母の日』とは

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photo by usagi ame

母の日ってどんな日?

『母の日』は、日頃のお母さんの苦労を労り、お母さんへの感謝を表す日です。日本で『母の日』が全国的に定着しだしたのは、第二次世界大戦後だと言われています。子供のころ、お母さんの家事を1日だけ代わってあげたり、肩たたき券をあげたりした人も多いのではないでしょうか?

定番のプレゼントは、カーネーションですよね!季節柄、あじさいも多く贈答用に販売されています。お母さんは、あまりにも近い存在で、家事をしてくれるのおが当たり前で、わざわざ「感謝」することも忘れてしまいがちです。

いつも気に掛けてくて、自分を心配していてくれるお母さん。年に1度の『母の日』に、普段は言えていなかった「ありがとう」の気持ちを伝えてあげましょう




『母の日』はいつ?

日本の『母の日』は、毎年5月の第2日曜日です。ですから2017年(平成29年)は、5月14日が母の日になります。ちなみに、2018年(平成30年)は5月13日、2019年(平成31年)は5月12日となります。

『母の日』が5月の第2日曜日となったのは、1949年(昭和24年)頃からで、それ以前の1931年(昭和6年)頃からは、昭和天皇の皇后様の誕生日である3月6日を母の日としていました。

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『母の日』の由来

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アンナ・ジャービス

アメリカのアンナ・ジャービスという方のお話が、日本の『母の日』の由来となっています。アンナは、自身の母であるミセス・ジャービスが、全ての人々に母親の愛情を注ぎ社会貢献してきた貢献を讃えるために、『母の日』を祝日とする活動を行った人物です。

1908年の5月10日、アンナは、フィラデルフィアの協会で母親の追悼式を開きました。その追悼式で、母ジャービスの好きだった白いカーネーションを捧げました。この式には、世の中の母親たちの社会活動を記念する、という意味も込められていました。

この「1908年の5月10日」は、この年の「5月の第2日曜日」でした。その活動は、それからおよそ6年後の1914年に実を結び、毎年5月の第2日曜日は『母の日』として、祝日に制定されたのです。




アンナの母、ミセス・ジャービス

アンナの母、ミセス・ジャービスは敬虔なクリスチャンで、日曜学校の牧師を26年間も努めていました。牧師の夫を早くに亡くしてしまいましたが、戦争や病気などで合計8人もの子供を失いながらも、残る2人の娘を、女一人で立派に育て上げた強い母でした。

そしてそれと同時に、社会活動家でもありました。ミセス・ジャービスは、1985年に病気の人や貧しい人のための募金活動や、食品検査、公衆衛生活動を行う「Mothers’Day Work Cloub」を結成します。女性の地位が低い時代のアメリカにおいて、この活動は、とても大きな意味を持ちました。

さらに南北戦争時には中立を宣言し、南北双方の兵士を看病します。激しい南北戦争時に、双方の敵意をなくそうと試みたイベントで、「Mother’s Friendsship Day」と呼ばれ、こちらも大成功を収めます。このような立派な社会貢献の経歴を持つミセス・ジャービスの追悼式を、娘のアンナが大々的に行ったことで、社会的にも注目を集めたのです。

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世界の『母の日』

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日本

日本で最初に『母の日』のイベントが行われたのは明治時代の末期だといわれています。1915年(大正4年)に、当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史に、アンナ・ジャービスからメッセージが届きました。

これをきっかけに紹介された『母の日』は日本でも受け入れられ、教会や日曜学校でもお祝いの行事が行われるようになりました。このように、初期の『母の日』は、教会などのごく一部で行われる行事でした。

1931年(昭和6年)に「大日本連合婦人会」が結成されました。この組織によって、当事の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日を日本の『母の日』としましたが、あまり普及しませんでした。

1937年(昭和12年)に、森永製菓が中心となり「第1回 森永・母の日大会」が開催されます。この催しは、新聞や雑誌に大きく取り上げられ、『母の日』は日本全国に広がり、次第に一般家庭でも定着していきました。

その後、1949年(昭和24年)頃になると、『母の日』の本家、アメリカに倣って「5月の第2日曜日」に行われるようになりました。




アメリカ

先ほども紹介した、ミセス・ジャービスの死から2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、活動家だった亡き母親を偲び、追悼式を行います。

ミセス・ジャービスが日曜学校の教師をしていた教会に、アンナの母への想いに感動したおよそ470人の生徒と、ミセス・ジャービスを慕う母親達が集まりました。

その時アンナは、ミセス・ジャービスが好きだった白いカーネーションを参加者全員に手渡しました。これがアメリカでの『母の日』の起源で、白いカーネーションが『母の日』のシンボルとなりました。

南北戦争終結直後の1870年、アメリカの女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウによって、Mother’s Day Proclamationという「母の日宣言」がなされました。これは、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に阻止しようと立ち上がったもので、ミセス・ジャービスのMother’s Work Daysをヒントにしたものでした。

しかし、ハウの「母の日」は結局普及することはありませんでした。

オーストラリア

オーストラリアにおける『母の日』は、母の日に贈りものを贈る日です。この習慣は1924年、シドニーに住むジャネット・ヘイデン(Mrs Janet Heyden)によって始められました。

ある日ジャネット・ヘイデンは、自身が訪れたニューイントン(Newington, Victoria)の州立女性老人ホームで、多くの「忘れられた孤独な母たち」に出会います。その孤独な女性たちを何とか喜ばせようと、地元の学校や企業などに協力を仰ぎ、ささやかなプレゼントを贈ることを計画しました。

それから毎年少しずつ、ジャネット・ヘイデンは贈り物をする規模を大きくして習慣にしていきます。以来、この『母の日』に贈り物をする習慣は商業化されていきます。そのプレゼントは、クリサンセマム(菊の花)を贈ることが伝統になっています。

その理由は、ちょうど『母の日』の季節はオーストラリアでは秋にあたり、その秋に花を咲かせ見頃になるのが、クリサンセマム(chrysanthemum)だからです。さらに、菊はhrysanthemumの語尾をとって通称 「mum(マム)」とも呼ばれ、ちょうど「mum(お母さん)」と重なるのです。

男性は『母の日』に上着ジャケットの襟にchrysanthemumの生花を挿したり、菊花を模したlapel pinという襟章をつけることもあります。

現在のオーストラリアでは、アメリカに倣って『母の日』は5月の第2日曜日に祝われるようになりました。

アイルランドとイギリス

アイルランドとイギリスの『母の日』は日本よりおよそ2ヶ月程早く、イースターの2週間前の日曜日に行われています。「Mothering Sunday(里帰りの日曜日)」と呼ばれ、17世紀に始まり、初期は奉公中の子供が教会で母親と面会するなどの行事が行われていました。

最近では、Mothering Cakeというチョコレートなどのお菓子や、カーネーションやバラのフラワーギフトをプレゼントに渡します。あまりお金が無いこども達は、朝食を作って母親のベッドまで持っていったりします。それもできなければ、皿洗いなどのお手伝いをするのです。

『母の日』のプレゼントはカーネーション?

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なぜカーネーションなの?

母の日の起源ともなったなった人物、ミセス・ジャービスは日曜学校で『母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう』と話していました。この言葉が娘、アンナの胸の中にも、深く刻まれ、母の好きなカーネーションにその想いを込めたのです。

ミセス・ジャービス追悼式で、参加者全員に手渡された白いカーネーションには、自分達を育ててくれた母への感謝の気持ちが込められていたのです。そこから、一般的にもカーネーションを贈る習慣となりました。




カーネーションの色

ここまでの『母の日』の起源となったお話の中にで登場したカーネーションは、私達がよく目にする赤ではなく、白いカーネーションでした。

キリスト教では、十字架を背負ったキリストを見送った母マリアの涙の跡に白いカーネーションが咲いたといわれています。また、キリストの復活時には赤いカーネーションガ咲き、赤はキリストの体から散った血も象徴しています。

母の日のカーネーション

アンナ・ジャービスが、母の追悼式で参加者に手渡したのは白いカーネーションでした。

それをきっかけに、母が生きている人は赤いカーネーションを、母親を亡くした人は白いカーネーションを自分の胸に着けるようアンナが提案しました。そして時の流れと共に、『母の日』にはお世話になった母にカーネーションの花を贈る、という伝統へと変わっていったのです。

現在では赤いカーネーションが一般的な理由は?

日本で『母の日』が普及し始めた当初は、贈り物のカーネーションの色も、アメリカに倣って赤と白で区別していました。

しかし、赤色と白色で区別することによって、自分の母が亡くなっていることに対して傷つくこどもがいることや、母がいても、実は養母に育てられているこどもの気持ちに配慮すべきだろう、という声があがりました。こういった背景が引き金となり、『母の日には赤いカーネーション』という伝統が定着しました。

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人気のお菓子

TVや雑誌で、スイーツ特集が組まれることも多いですよね。甘いお菓子が好きなお母さんならば、最新の人気スイーツをプレゼントしてみてはいかがでしょうか?わざわざ本店に足を運ぶのもいいいですし、デパートで催事が行われたりもしますから、わりと日本全国の人気スイーツを手に入れることが可能です。

もちろん、伝統的な和菓子などもいいでしょう。お母さんが一人で楽しむのも良し、お客さんに出して「娘が母の日にくれたのよ」と自慢してもらうも良し。定番のフラワーギフト以外にも、こちらも検討してみてください。




やっぱり定番のフラワーギフト

『母の日』のプレゼントで、やはり人気ランキング上位にくるのは、フラワーギフトです。定番のカーネーションはもちろん、バラやひまわり、またはお母さんの好きな花などを花束にして贈りましょう。

最近では花束ばかりでなく、長持ちする鉢植えやブリザードフラワーなども好まれています。花束にメッセージカードを添えたりするのもいいですし、有名店のスイーツとセットになった可愛らしいフラワーギフトもありますから、ぜひお好みのものを見つけてみてください。

まとめ

ここでは母の日の由来についてご紹介しました。お役に立てましたでしょうか?あまり知られていませんが、5月5日のこどもの日は、祝日法2条によると『こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること』が趣旨とされているそうです。

こどもが自由にしていい日、ではないのですね。母の日もこどもの日も、もちろん普段からも、とにかくお母さんには感謝しなさい、ということですね。

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